皆さんは、火星観測の歴史がどれくらいあるかご存知ですか?

昔から、赤く輝く火星には血のイメージや争いや災いの象徴として見られていました。

地球の4分の1くらいの大きさの火星は地球と環境が似ていることから非常に注目されています。

今回は、そんな火星の観測の歴史をご紹介します。

火星観測の歴史とは?

火星観測の歴史を遡ると、デンマークの天文学者ティコ・プラーエ(1546~1601)に始まります。

彼は20年間に渡り火星を観測し、その詳細なデータを残しています。

その後、ヨハネス・ケプラー(1571~1630)が研究を受け継ぎ、後にケプラーの三法則を発見します。

火星の軌道が楕円形であることや地動説の優位性が確立されていきます。

同時期に、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1546~1642)がお手製の望遠鏡を使い火星の表面に模様があることを発見します。

イタリアの天文学者カッシーニ(1625~1712)は白い極冠を発見しています。

極冠とは火星の南北にある水の氷とドライアイスからできたものです。

ドイツのウィリアム・ハーシェル(1738~1822)は大望遠鏡を使い火星の自転軸が傾いていることを発見します。

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それに、時期によって極冠の大きさが大きくなったり小さくなっていることから火星にも四季があることが発見されました。

イタリアの天文学者ジョバンニ・ウィルジニオ・スキアパレッリ(1835~1910)はミラノの20cm屈折望遠鏡を使い詳細な火星図を作成しています。

その火星図には直線上の模様が多くあり「カナリ」と名付けました。

カナリが、canal=英語で運河という意味の言葉に英訳されたことで、火星には運河があり発達した文明が存在する等様々な憶測を生むことになりました。

火星には文明が存在することを信じ続けたアメリカの天文学者パーシヴァル・ローウェル(1855~1916)。

彼は私財を投じて天文台の建設と生涯に渡り研究を重ねてきました。

彼の影響を受け火星の研究へと駆り立てられた人は多く存在するでしょう。

第二次世界大戦後、ついに人類は人工衛星による火星への到着と火星の探索が可能になりました。

今後、有人での上陸も期待されておりますます火星の観測が進むでしょう。

まとめ

今回は、火星観測の歴史をご紹介させて頂きました。

昔は争いや災の象徴として扱われてきた火星ですが、観測が進むに連れてそのイメージも変わりました。

今では火星移住計画があり、今後は有人での火星上陸も予定されています。

今後、火星はますます注目されるでしょう。