火星は遠い昔から、天空で赤い輝きを放つ星として人々の目にふれていました。
しかし、あの星を「火星」と呼ぶようになったのはいつ頃だったのでしょう。
今回は火星が「火星」として名付けられたのがいつなのか、について紹介します。
火星の発見はいつ?名付けられたのは?
火星のことは、かつて螢惑星(けいこくほし)と中国では呼んでいました。
螢惑とは、惑わすという意味で火星は惑わす星として不吉なものと考えられていました。
不気味に赤く輝き、時折逆行を行う火星は縁起が悪いものとして見られていたようです。
古代中国では、五行思想という考え方があります。
土、水、火、木、金がこの世のすべての元になっている、という考え方です。
そして、中国ではかなり昔から土星、水星、火星、木星、金星の存在が確認されていました。
当時は惑星などという考えはもちろんなく、天にはりつかず、動いている星ということで考えられていたようです。
そして、星の動きや見かけと五行思想があいまって、それぞれに名前が付けられたのです。
また、中国で螢惑と呼ばれていた星が、火星と名付けられたのは、紀元前のことです。
そして、この呼び名は、遣唐使によって日本にも伝えられています。
しかし、この火星という名前はしばらくの間は専門家たちの間の言葉だったようです。
日本ではどうかというと、火星は江戸時代まで、ほのをぼし、夏日星(なつひほし)、そして中国と同じ螢惑などとよんでいました。
一方西洋では、太陽系の五つの惑星はギリシャ神話の神様の名前が見かけや特徴から名付けられています。
赤く輝く火星は、戦いの神、マースです。
望遠鏡が発達してその他の太陽系の惑星が発見されても、同じように神々の名前がつけられています。
まとめ
火星を「火星」と名付けたのは、紀元前の中国のようです。
確かにあの赤い輝きは、火のようです。
そして西洋でも、同じようなイメージを持って名前を付けていました。
「火」は戦争にはつきものです。
私達人間は、火を扱うことできる唯一の動物です。
今までも火の使い方を間違って、大変なことをしてきました。
今、火星の移住計画が始まっていますが、今度こそ「火」の使い方を間違わないようにしたいものですね。